- なぜ東京ヴェルディが弱くなったのか知りたい人
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2023年東京ヴェルディは16年ぶりに悲願のJ1復帰を果たしました。
東京ヴェルディはJリーグ創設期、ヴェルディ川崎としてJリーグを牽引していました。
そんな東京ヴェルディですが、Jリーグ創設から10年も経たずして失墜し、気づけばJ2の顔馴染みとなってしまいました。
今回は東京ヴェルディの歴史とともに、どのようにしてJ1復帰を果たしたのかを見ていきたいと思います。
Jリーグ屈指の強さを誇ったヴェルディ川崎
かつて東京ヴェルディはJリーグ発足時は三浦知良やラモス瑠偉が所属するJリーグ屈指の人気クラブでした。
また人気もさることながらその実力もJリーグトップクラスでした。
Jリーグ創設から3年間の東京ヴェルディの戦績を見てみましょう。
※Jリーグ発足時、東京ヴェルディは、川崎市をホームタウンとしたヴェルディ川崎というチームでした。
1993年 | クラブ名 | 勝ち点 |
1位 | ヴェルディ川崎 | 84 |
2位 | 清水エスパルス | 72 |
3位 | 鹿島アントラーズ | 69 |
1994年 | クラブ名 | 勝ち点 |
1位 | 川崎ヴェルディ | 93 |
2位 | サンフレッチェ広島 | 87 |
3位 | 鹿島アントラーズ | 81 |
1995年 | クラブ名 | 勝ち点 |
1位 | ヴェルディ川崎 | ー |
2位 | 横浜マリノス | ー |
3位 | 名古屋グランパス | ー |
このように東京ヴェルディは毎年のように優勝争いをする強豪クラブだったことがわかります。
それではなぜ東京ヴェルディはJ2に降格し、16年間もJ1に昇格することができなかったのでしょうか。
東京ヴェルディが弱くなった2つの原因
親会社からの出資に偏った経営体制
Jリーグ創設当時、東京ヴェルディのメインスポンサーは読売テレビでした。
読売テレビのことは皆さんご存知だと思いますが、スポーツ活動にも大きな力を入れておりプロ野球では読売ジャイアンツの親会社でもあります。
当時はこの読売テレビから多大な出資を受けていたこともあり、多くのスター選手を獲得することができました。
しかし、Jリーグ創設から5年がたち読売テレビは東京ヴェルディのメインスポンサーを撤退します。
これには、Jリーグの掲げる理念と読売テレビの意向がそぐわなかったことが原因と言われています。
当時、東京ヴェルディは読売ヴェルディと呼ばれていましたが、Jリーグのチェアマンだった川渕三郎氏は企業の名をチーム名に入れるのはJリーグの理念に反すると読売側に名前を外すように要求しました。
それに猛反発をしたのが、読売テレビの会長だった渡辺恒雄氏でした。
東京ヴェルディを企業の広告等して活用したかった渡辺氏との意見は最後まで一致することがなく、結果読売テレビは撤退することになったのです。
それにより、これまで読売テレビの出資に偏った経営をしていた東京ヴェルディの経営は大きく傾くことになりました。
これまで獲得してきた有名選手とは契約を更新することができず、さらに選手補強もままならない状態になったのです。
その結果、経費削減を繰り返し行いますが、成績は下降の一途を辿り2005年にはついにJ2に降格してしまいます。
2008年にJ1に復帰を果たしますが、そのときの東京ヴェルディに当時の強さはなく、1年で再びJ2に降格してしまいました。
今になって思うとこのJ2降格が、東京ヴェルディの経営をより圧迫させたとわかります。
J2に降格をしたことで、それまでスポンサーとしてついてくれていた企業は次々に撤退してしまいました。
地域密着を軽視しすぎた結果
Jリーグ発足時、東京ヴェルディは神奈川県の川崎に本拠地を置いていました。
しかし、東京ヴェルディとしては、東京を本拠地とする意向がありました。
実際に当時ヴェルディの社長であった坂田信久氏も同じようなことを語っています。
それではなぜ最初から川崎ではなく東京に本拠地を構えなかったのでしょうか?
それはホームスタジアムに原因があります。
当時、東京にはJリーグの基準を満たすスタジアムが存在せず、そのため東京ヴェルディも読売クラブ時代に使用していた川崎にある等々力競技場を使わざるおえなかったのです。
そして2001年東京に味の素スタジアムが完成すると、東京ヴェルディは悲願の東京移転をすることができました。
しかし、東京にはすでにFC東京が地元のクラブとして認められており、東京ヴェルディにつけいる隙はありませんでした。
また、今回の川崎から東京への本拠地移転は、地域密着を掲げるJリーグでは異例の出来事であったため一部のサポーターからは反感を買う結果となったのです。
このように地域密着を軽視した経営判断が、クラブの経営状況をより苦しめていたことがわかります。
J1復帰までの軌跡
2009年9月ついに日本テレビも経営から撤退をし、翌年の2010年にはJリーグがクラブを運営していた時期もありました。
そんな苦しい時期を過ごしてきた東京ヴェルディですが、2020年末から東京ヴェルディは経営体制がゼビオホールディングスに一新しました。
現社長の中村考昭氏も「危機は過ぎ去り、経営は安定化し、盤石化しました」と会見で発表しました。
経営体制が変わったことで、徐々にチーム編成や補強を含めた資金が安定してきました。
2022年は9位でしたが、終盤戦は6連勝でシーズンを終えており、総失点は2021シーズンの66から55に減らすなど、改革の効果は確実にでていました。
そして2023年ついにリーグ3位でJ1復帰を果たしたのです。
まとめ
経営体制がゼビオホールディングスに代わった2020年に「2023年までにJ1昇格、2024年、2025年にACL出場を目指す」と公言をしていました。
そして実際に2023年にJ1昇格を果たしています。
今後の東京ヴェルディの躍進に注目です。
その他のJリーグクラブの実例を知りたい方はこちらをご覧ください。
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